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Paludan-Muller, Martin Gregers, author
著者は2012年から2013年にかけてはプラハで、また2013年から2014年にかけてはサンクトペテルブルクでデンマーク語教師をしていました。どちらの場所でも、優秀な学生は学業を収めた後、自分たちが学んだ言語を使う仕事 - 企業での仕事、観光関連の仕事、翻訳、文化関連の機関や大使館での仕事 - を得るので、ほとんどの学生が非常に意欲的でした。1年間デンマーク語を学習した後すでに、彼らはデンマーク語で細かいニュアンスを含む会話をすることができます。これには、チェコ人のそしてロシア人のデンマーク語教師たちも授業において学生とデンマーク語を話すことが多いことが関連しています。専門的なレベルに関する日本との重要な違いは、大学内のスポーツクラブが、学生の生活と時間を本学のように独占することは、ヨーロッパの大学では決して許されないだろう、ということです。ある学生から、彼女が週に20 時間を自分のクラブに費やし、勉学には数時間を費やしていることを聞いたときには、主専攻 - また大学で学ぶことの意味 - とは何なのか、と問わずにはいられませんでした。クラブの中には、後輩と先輩の間に厳しい上下関係が存在しているものもあり、先輩の学生たちが後輩を学業から遠ざけるよう強制しています。誰一人として、学生に学業を軽んじることをやめさせる者はいません -学生はただただ教員たちに「尊敬」を示しさえすれば良いのです。日本では、デンマーク語を主専攻として学業を修め、卒業資格を得た学生に対して、東ヨーロッパと同様の要求はなされていません。本学のデンマーク語専攻では、言語は地域研究のためのツールであるという方が相応しいでしょう。しかし1988 年から今日にかけての1 つの変化に関しては嬉しく思っています、それは本物のグローバル化と呼べるものです。「以前」は、3 年次の20 人の学生のうち2 人の学生がデンマークへ1 年間の留学に行く、というのが通常でした。近年では留学に行く学生の数は半数以上となっています。多くの学生が、デンマーク語を学び始めた頃から、デンマークで1 年間を過ごそうと計画しています、この事実だけでもデンマーク語を学ぶ上でのとても大きなヤル気に繋がっています。1990年には「国際化」は中身の無い流行語である場合がほとんどでしたが、現在ではそれが現実となっています。さらには、日本人の(スカンジナヴィアも含む)ヨーロッパに対する関心は、1988年以降非常に大きいものとなっています、1988年当時はアメリカが全てでした。さらに、履歴書での海外滞在に関する言及は、現在では多くの雇用者にとってプラス材料に映っているのではないだろうかという印象を著者は持っています - 以前は国際力を持っているということは、危なくて異質な考え方を持っているのかもしれないと見なされる場合がありました、というのはそのような考え方は上司に対する表面上の尊敬を脅かしかねないからです。デンマークから帰国した学生たちは、デンマーク語を学ぶ環境において、非常に良い効果をもたらします。彼らは「デンマーク語を使って」友人を得ていて、デンマークにおけるデンマーク語専攻のネットワーク(つながり)やサマーコースそしてフォルケホイスコーレ(国民高等学校)との良好な関係に貢献しています...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library