:: Artikel Jurnal :: Kembali

Artikel Jurnal :: Kembali

جاپانی طلبا کو اردو بول چال سکھانے کے تجربات اور تجاویز

Marghoob Hussain Tahir (Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018)

 Abstrak

筆者は1988年以降、パキスタンのパンジャーブ大学において外国人に対するウルドゥー語教育を約25年間担当してきたが、その中には日本人学生も含まれていた。様々な国からの留学生のなかで、日本人学生は特徴的であった。その経験から、日本人学生にウルドゥー語を教育する場合、日本人の性格を理解することが肝要であると考える。例えば、ウルドゥー語会話を教育する場合、日本人は返答に時間を要し、どうしても答えねばならないときは、可能な限り簡潔な会話をしようとする。また、教員が何か質問をした場合、たとえその答えが理解できていても、挙手して回答する日本人は少ない。これは、日本人が他人の中で目立つことを好まないという性格に起因しているものと思われる。そこで、日本人には別の手法で会話を教育することが必要となる。まず日本人は、日本語にないウルドゥー語固有の音声の発音について繰り返し練習させることで、まず教室内で、教員を前にして話す自信をつけさせる。次に、会話の実践においては、教科書的な会話の質疑よりも、実践的な会話の練習を導入することが良いと思われる。すなわち、教員が、同僚の日本人教員に尋ねるような質問を、学生に投げかけるのである。可能な限り他人を手伝い、協力するのは日本人の性格の一部であり、日本社会においてこれは義務のように感じられる。そこで、教員が「休日に日本の歴史的な場所を訪ねたいが、どこに行けばいいか教えてほしい」と尋ねれば、学生は話し合った後で「京都」だと答える。そこで「京都で何を見ればいいか」と尋ねると、さらに話し合い場所を答える。その後、その場所に行く方法を訪ねると、学生は辞書を開き、説明しようとする。この段階に入ると、学生は授業として会話をしている気持ちを忘れ、他人を助けるために自然に会話しようとするのである。パキスタンにおける婚礼などの儀礼、歴史や文化について説明した後で、日本の文化について尋ねると、その答えを懸命に探そうとする。この時、学生は文法的な過ちを犯してしまうが、まずは話そうとする意欲を大切することが重要である。また、クラスにウルドゥー語会話のできる学生が現れると、他の学生はその学生を通して教員の話していることを理解しようとする傾向がある。学生全員に話す機会を与えることは当然だが、留意すべき点である。日本人学生は会話よりも読み書きを得意とする傾向があることから、SNSなどを通して、作文による会話を進めることも今後は必要となろう。日本人は会話の際に用いた語彙を、その場ではうまく運用するものの、その語彙を覚える、ということが少ない印象を受ける。会話の実践では、同じ語彙を何度も用いることで、その語彙を覚えさせることも重要である。
筆者は1988年以降、パキスタンのパンジャーブ大学において外国人に対するウルドゥー語教育を約25年間担当してきたが、その中には日本人学生も含まれていた。様々な国からの留学生のなかで、日本人学生は特徴的であった。その経験から、日本人学生にウルドゥー語を教育する場合、日本人の性格を理解することが肝要であると考える。例えば、ウルドゥー語会話を教育する場合、日本人は返答に時間を要し、どうしても答えねばならないときは、可能な限り簡潔な会話をしようとする。また、教員が何か質問をした場合、たとえその答えが理解できていても、挙手して回答する日本人は少ない。これは、日本人が他人の中で目立つことを好まないという性格に起因しているものと思われる。そこで、日本人には別の手法で会話を教育することが必要となる。まず日本人は、日本語にないウルドゥー語固有の音声の発音について繰り返し練習させることで、まず教室内で、教員を前にして話す自信をつけさせる。次に、会話の実践においては、教科書的な会話の質疑よりも、実践的な会話の練習を導入することが良いと思われる。すなわち、教員が、同僚の日本人教員に尋ねるような質問を、学生に投げかけるのである。可能な限り他人を手伝い、協力するのは日本人の性格の一部であり、日本社会においてこれは義務のように感じられる。そこで、教員が「休日に日本の歴史的な場所を訪ねたいが、どこに行けばいいか教えてほしい」と尋ねれば、学生は話し合った後で「京都」だと答える。そこで「京都で何を見ればいいか」と尋ねると、さらに話し合い場所を答える。その後、その場所に行く方法を訪ねると、学生は辞書を開き、説明しようとする。この段階に入ると、学生は授業として会話をしている気持ちを忘れ、他人を助けるために自然に会話しようとするのである。パキスタンにおける婚礼などの儀礼、歴史や文化について説明した後で、日本の文化について尋ねると、その答えを懸命に探そうとする。この時、学生は文法的な過ちを犯してしまうが、まずは話そうとする意欲を大切することが重要である。また、クラスにウルドゥー語会話のできる学生が現れると、他の学生はその学生を通して教員の話していることを理解しようとする傾向がある。学生全員に話す機会を与えることは当然だが、留意すべき点である。日本人学生は会話よりも読み書きを得意とする傾向があることから、SNSなどを通して、作文による会話を進めることも今後は必要となろう。日本人は会話の際に用いた語彙を、その場ではうまく運用するものの、その語彙を覚える、ということが少ない印象を受ける。会話の実践では、同じ語彙を何度も用いることで、その語彙を覚えさせることも重要である。

 Metadata

No. Panggil : 400 FRO 1 (2018)
Entri utama-Nama orang :
Penerbitan : Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
Sumber Pengatalogan : LibUI japind rda
ISSN : 24339636
Majalah/Jurnal : Frontier of Foreign Language Education
Volume : Vol. 1, 2018: Hal. 247-252
Tipe Konten : text
Tipe Media : unmediated
Tipe Carrier : volume
Akses Elektronik :
Institusi Pemilik : Universitas Indonesia
Lokasi : Perpustakaan UI, Lt 4, R. Koleksi Jurnal
  • Ketersediaan
  • Ulasan
No. Panggil No. Barkod Ketersediaan
400 FRO 1 (2018) 03-19-758725810 TERSEDIA
Ulasan:
Tidak ada ulasan pada koleksi ini: 20497216