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Marghoob Hussain Tahir, author
筆者は1988年以降、パキスタンのパンジャーブ大学において外国人に対するウルドゥー語教育を約25年間担当してきたが、その中には日本人学生も含まれていた。様々な国からの留学生のなかで、日本人学生は特徴的であった。その経験から、日本人学生にウルドゥー語を教育する場合、日本人の性格を理解することが肝要であると考える。例えば、ウルドゥー語会話を教育する場合、日本人は返答に時間を要し、どうしても答えねばならないときは、可能な限り簡潔な会話をしようとする。また、教員が何か質問をした場合、たとえその答えが理解できていても、挙手して回答する日本人は少ない。これは、日本人が他人の中で目立つことを好まないという性格に起因しているものと思われる。そこで、日本人には別の手法で会話を教育することが必要となる。まず日本人は、日本語にないウルドゥー語固有の音声の発音について繰り返し練習させることで、まず教室内で、教員を前にして話す自信をつけさせる。次に、会話の実践においては、教科書的な会話の質疑よりも、実践的な会話の練習を導入することが良いと思われる。すなわち、教員が、同僚の日本人教員に尋ねるような質問を、学生に投げかけるのである。可能な限り他人を手伝い、協力するのは日本人の性格の一部であり、日本社会においてこれは義務のように感じられる。そこで、教員が「休日に日本の歴史的な場所を訪ねたいが、どこに行けばいいか教えてほしい」と尋ねれば、学生は話し合った後で「京都」だと答える。そこで「京都で何を見ればいいか」と尋ねると、さらに話し合い場所を答える。その後、その場所に行く方法を訪ねると、学生は辞書を開き、説明しようとする。この段階に入ると、学生は授業として会話をしている気持ちを忘れ、他人を助けるために自然に会話しようとするのである。パキスタンにおける婚礼などの儀礼、歴史や文化について説明した後で、日本の文化について尋ねると、その答えを懸命に探そうとする。この時、学生は文法的な過ちを犯してしまうが、まずは話そうとする意欲を大切することが重要である。また、クラスにウルドゥー語会話のできる学生が現れると、他の学生はその学生を通して教員の話していることを理解しようとする傾向がある。学生全員に話す機会を与えることは当然だが、留意すべき点である。日本人学生は会話よりも読み書きを得意とする傾向があることから、SNSなどを通して、作文による会話を進めることも今後は必要となろう。日本人は会話の際に用いた語彙を、その場ではうまく運用するものの、その語彙を覚える、ということが少ない印象を受ける。会話の実践では、同じ語彙を何度も用いることで、その語彙を覚えさせることも重要である。 筆者は1988年以降、パキスタンのパンジャーブ大学において外国人に対するウルドゥー語教育を約25年間担当してきたが、その中には日本人学生も含まれていた。様々な国からの留学生のなかで、日本人学生は特徴的であった。その経験から、日本人学生にウルドゥー語を教育する場合、日本人の性格を理解することが肝要であると考える。例えば、ウルドゥー語会話を教育する場合、日本人は返答に時間を要し、どうしても答えねばならないときは、可能な限り簡潔な会話をしようとする。また、教員が何か質問をした場合、たとえその答えが理解できていても、挙手して回答する日本人は少ない。これは、日本人が他人の中で目立つことを好まないという性格に起因しているものと思われる。そこで、日本人には別の手法で会話を教育することが必要となる。まず日本人は、日本語にないウルドゥー語固有の音声の発音について繰り返し練習させることで、まず教室内で、教員を前にして話す自信をつけさせる。次に、会話の実践においては、教科書的な会話の質疑よりも、実践的な会話の練習を導入することが良いと思われる。すなわち、教員が、同僚の日本人教員に尋ねるような質問を、学生に投げかけるのである。可能な限り他人を手伝い、協力するのは日本人の性格の一部であり、日本社会においてこれは義務のように感じられる。そこで、教員が「休日に日本の歴史的な場所を訪ねたいが、どこに行けばいいか教えてほしい」と尋ねれば、学生は話し合った後で「京都」だと答える。そこで「京都で何を見ればいいか」と尋ねると、さらに話し合い場所を答える。その後、その場所に行く方法を訪ねると、学生は辞書を開き、説明しようとする。この段階に入ると、学生は授業として会話をしている気持ちを忘れ、他人を助けるために自然に会話しようとするのである。パキスタンにおける婚礼などの儀礼、歴史や文化について説明した後で、日本の文化について尋ねると、その答えを懸命に探そうとする。この時、学生は文法的な過ちを犯してしまうが、まずは話そうとする意欲を大切することが重要である。また、クラスにウルドゥー語会話のできる学生が現れると、他の学生はその学生を通して教員の話していることを理解しようとする傾向がある。学生全員に話す機会を与えることは当然だが、留意すべき点である。日本人学生は会話よりも読み書きを得意とする傾向があることから、SNSなどを通して、作文による会話を進めることも今後は必要となろう。日本人は会話の際に用いた語彙を、その場ではうまく運用するものの、その語彙を覚える、ということが少ない印象を受ける。会話の実践では、同じ語彙を何度も用いることで、その語彙を覚えさせることも重要である...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Marghoob Hussain Tahir, author
世界のいずれの言語においても、文学は特に重要である。会話として発生した言語が文学として開花するには長い歳月を要する。文学には比喩、隠喩、慣用句、俚諺などによって一つの世界が出来上がっている。この世界が築かれ、続くには多くの世代の努力が費やされてきた。文学の主題や思想は、その言語を話す集団の政治的、社会的、経済的、宗教的、慣習的な要因によって形成されている。したがって文学はある集団の文化を明らかに、完璧に映し出す鏡のような存在である。また文学の文体は通常の会話とは異なるものであり、文学の理解は困難を伴うものである。文学の教育自体が難解なものである上に、外国人を対象とした文学の教育はさらに難しいものとなる。特に、その文化や慣習が全く異なる人々にとっては、異なる言語の文学は理解する上で困難なものとなりうる。日本人学生を対象としてウルドゥー文学の歴史や詩、小説などを教育する上で筆者が感じたことは、文学史を教えつつ、ウルドゥー語の話されている社会の政治的、社会的な変容についても解説する必要があるということである。ウルドゥー短編小説を教育する場合、日本人学生は難解な語彙を調べ、その意味を理解しようとはするが、小説全体が描こうとする主題を理解することが困難となっている。また多くの語彙や慣用表現が社会的、文化的背景のもとに用いられているため、これを理解しないことには小説の世界に入れないのである。さらに小説の文体や主題は、作家によって異なるものであり、インドとパキスタンの作家の違いのみならず、パキスタンであっても様々な地域の生活文化が異なるため、ウルドゥー語が描き出す様々な社会を理解するのは困難となる。ウルドゥー文学を教育するに当たっては、その主題等が社会や文化を反映しているものでありつつも、学生が容易に理解できるような作品を選ぶことが求められる。そして教員は難解な語彙を分かりやすく説明することが求められる。難解な表現等をまず説明してうえで、主題に関する議論を行うことによって、作品への理解が深まるのである。また、文学の主題の変化によって、社会の変化について考察させることができるように、異なる時代の文学作品を選ぶことも必要であろう。日本人学生にとってはウルドゥー詩の理解が最も難しい。韻律、押韻、詩形などをまず理解させ、韻文を散文に戻すことで理解が深まるのである。そのうえでウルドゥー詩固有の主題を解説し、ウルドゥー詩に慣れさせる必要がある。特に恋愛抒情詩ガザルの解説は困難で、ウルドゥー詩における恋愛観、スーフィズム、宗教的倫理観などを理解した場合は、新しい世界が開けたような段階に入ることができる。当初は理解に時間を要するが、理解が深まり、関心を持つようになると、その内容を深く理解するようになる。語彙については、語義を教えるだけでなく、その語彙で描かれる感情などを教える必要がある。さもなくば、語義を調べるだけに労力が費やされ、文学を鑑賞できなくなるのである。日本人には音楽を好む人が少なくなく、韻律や押韻などとともに教えると、学生の関心も高まる。詩は有名で重要なものを選び、詩を解説したのちに、その内容について文章で書かせると、学生の理解度が把握できる...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Luciana Cardi, author
本論文ではイタリア人作家ジャンニ・ロダーリの『ファンタジーの文法』(1973 年)に基づいた日本人学習者向けの創作伊作文の教授法について考察する。筆者は2013 年度から大阪大学で中級(CEFR でA2 レベル)と上級(CEFR でB1 - B2 レベル)のイタリア語作文の授業を担当し、外国語学部イタリア語専攻の2、3、4 年次の学部生を対象に、日常的な通信からビジネスレターにいたるまで様々な手紙、物語、日記、漫画、学術論文など異なるジャンルの文体的特徴と作法について指導をしてきた。授業で扱ったジャンルの中で、筆者は創作的作文に焦点を当て、ロダーリが提案した「ファンタジーの二項式」、「創作的誤謬」、「ひっくり返しのおとぎ話」、「ファンタスティックな仮定」、「お話をまちがえること」などの物語創作法を適用した伊作文の教授法について紹介する。また、第二言語(L2)学習者向けの学術的な伊作文マニュアルのメリットと課題を検討し、第二言語教育に適用されたロダーリのアプローチの特徴と意義について考察する。授業で利用した資料、学生によって実行された課題、ロダーリの『ファンタジーの文法』に込められている現代の若者たちへの伝言を分析しつつ、伊作文の授業の教授法について論じる...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Kawakita, Kyoko, author
外国語学部フランス語専攻での2 年間の実習授業では、詳細な文法学習は行っているが体系的な語彙学習は行っておらず、専攻語到達度目標達成には語彙不足が懸念される。専攻語の授業であることに鑑みて、文法学習レベルを維持しつつ効果的な語彙習得方法を考えなければならない。他方、フランスの国語教育では、「聞く・話す・読む・書く」といった総合的な理解力や表現力は、文法規則や正書法の習得及び豊かな語彙にかかっているという判断の下に、体系化された語彙教育が行われている。国語教育で習得される語彙は、外国語教育で習得すべき語彙よりも高度で広範囲でありながら、外国語教育で習得すべき基本語彙もおろそかにせず学習させている。そこで、フランスにおける語彙教育がどのように行われているかを知ることは、外国語としてのフランス語教育における語彙を豊富にする学習方法に資すると考える。フランス小学校国語科の語彙習得方法を「語形成、多義性、類義語と反意語」の3 項目を中心に国語教科書から紹介し、我々のフランス語教育への応用可能性を検討する...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Nakao, Shuichiro, author
アラビア語には、音節構造に関する音韻制約によって引き起こされる、種々の語彙的・後語彙的音韻規則が存在する。つまり、アラビア語学習者は、ある程度こうした「音韻規則」を理解しなければ、アラビア語を正確に発話・作文することはおろか、辞書を引くことも、書かれた文章を流暢に発音することも不可能である。このため、伝統的なアラビア語教育においてはある種の「(形態)音韻規則」の説明が教育現場で用いられてきたが、それはごく限定的に(パラダイム・レベルで)一般しつつ、そこから演繹的な説明を行うという形での(例えば「CCwという型の語根をもつ動詞に関しては、その三人称単数男性形においてはawa → āのような変化が生じるため、CaCawaではなくCaCā という形式となる」のような記述形式をもつ)。こうした形式での説明は、矛盾を生じにくく網羅的とはなるが、有用な新情報を提供せず、記述が余剰的であるという否定的側面を強くもつ。一方で、近年のコミュニカティブ・アプローチに基づくアラビア語教育では、こうした「音韻規則」を一切廃し、反復練習による「慣れ」で解決される、という方針が採られる傾向が見られる。しかし、こうした方針は非効率であるというだけでなく、学習者が抽象的思考に基づき言語現象を理解する、という(大学等の高等教育機関における)語学学習の一つの学術的意義を損ねてしまう。本稿は、効果的かつ語学学習に「主体的学習」という意義をもたらす新たなアラビア語教育法を開拓することを目的とし、これまで十分検討されてこなかった、言語学的(現代音韻論的)枠組みを応用した「音韻規則」について検討することを目的とする。本稿では試験的に、単母音化・短母音化・母音挿入という三つの(パラダイム・レベルを越えて一般化された)音韻規則と、これらについての単母音化→短母音化→母音挿入という規則適用順、および以上の一般化に対する例外現象、という形で一部のアラビア語音韻現象を整理する。この上で、まず学習の初期段階ではごく少数の音韻規則とそれらの適用される順序を(ごく限られた例とともに)導入し、そして学習が進むにつれて以上の規則に関するより詳細な条件や例外現象を導入する(あるいは学習者が主体的に気づくよう促す)という方法を提案する...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Bayarsaikhan Magsarjav, author
モンゴルには、古来短型詩の伝統があり、例えば、口承文芸に二ないしは三、四行詩から成るなぞなぞやことわざ、さら に世界の三つ、四つなどの伝統的ジャンルがある。さらに書写文学にも四行詩から成る教訓詩が少なからずある他、二行詩 から成る祝詞や讃歌も一種の短型詩と見なすことができる。本稿では、モンゴルに日本の俳句が伝わった歴史とその現状、さらには日本の俳句の影響を受けて独自に発展した"モンゴル版俳句"、すなわちхайц(ハイツ)の概要を紹介するとともに、モンゴル人の様式・思考特徴が色濃く反映されたхайц を、今後日本のモンゴル語教育に導入することにより、それがモンゴル文化紹介の有効な手段となりうることを説いたものである...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Kimi Yamoto, author
本論文の目的は、筆者が作成した子ども向けフィリピン語教材開発の方法論を考察することと、本教材を教材評価の手法によって評価することである。日本の初等中等教育段階の学校ではフィリピンにルーツを持つ子どもが多く学んでいる。フィリピンやフィリピン語について学習する機会を設ける学校もあり、学校や地域で使用できる子ども向け教材が必要とされている。しかし日本国内で利用できるフィリピン語教材は大人向けに作成されており、子ども向け教材の開発は進んでいない。筆者は総合的な学習の時間に使用する目的で、初学者や初級段階の学習者を対象とした子ども向け教材を作成した。教材では、日常生活において身近な人々と基本的なやり取りができるようにするという言語習得面での目標と、言語学習を通して学習者自身やその周囲を見つめ直すという文化理解の両方に重点を置いた。作成した子ども向け教材を実際の授業で使用し、大学生の小集団1つと高校生の小集団2つについてプロトタイプの形成的評価方法による評価を試みた。観察による評価と経過時間の評価では、習慣等と関わりの深い内容が提示されると学習者からの発言が増えること、日常表現の一部は後半の課まで提出されないこと、学習者にとって馴染みの薄い文法事項や語彙の学習では予想時間を超えること等が明らかになった。質問紙調査では、良かった、分かりやすかったという意見が2/3 強を占め、その理由は絵が併記されていること、単語がまとめられていること、表や例文が分かりやすいことであった。一方、日本語訳が併記されていないこと、モノクロ印刷であること、量が多く要点が分かりにくいことが改善点として挙げられた。学習効果を評価する事後テストでは、標識辞や基本文型を理解できているか、身近な場面で日常的によく使われる質問に答えられるかを筆記テストと授業中の口頭での応答によって調べ、どの小集団も50~60%台の得点率であった。今後は学習項目の提出順や語彙と文法事項の精査といった、教材の構造と内容を再考することが必要である。学習効果についても、事後テストの妥当性の再考と、文化理解についての学習効果の評価が必要である。...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Behnam Jahedzadeh, author
ペルシア語は紀元前の古代ペルシア語から今日に至るまで楔形文字、パフラヴィー文字、それからアラビア文字といった様々な文字を用いてきた。現在のペルシア語文字は32文字から成っており、うち28 文字はアラビア語に由来し、4文字がペルシア語で独自に作られたものである。語の視覚的な形(表記法)が、これらの文字の組み合わせによって決定される。いずれの語をいずれの文字で書くか、伝統、慣例等の基準によってある程度は決まっており、読み書きの際、単語の「形」を理解することは極めて重要となる。しかし、一部の語の表記法は事実として多様化している。伝統、慣例等に基づき自立語の形成に関しては一定の規則性がある。一方で接辞や前置詞等を自立語と一体で書くか分けるか、あるいはいずれの複合語を一体化させ、また分書するか、といった問題には個人の好み等の要因による偏りが存在する。かかる要因が現代ペルシア語の表記法に統一性を失する結果をもたらしている。表記法の乱れに対処することを目的とするファルハンゲスターネ・ザバーネ・ファールスィー(ペルシア語アカデミー)の規則化の努力にかかわらず、教科書、マスコミ、SNS等において依然として表記法の異同が散見する。本論文では、イランの学校教科書、新聞、雑誌、SNS、あるいは表記法に関する書籍刊行物等を題材に、表記法の主な相違点を取り上げる。マスコミ、SNS、教材や書籍などにおいて、一層のデジタル化が顕著な社会状況を踏まえ、ペルシア語研究、また非ペルシア語母語話者へのペルシア語教育などの観点も含めて表記法のスタンダードを明確化することは、今後取り組むべききわめて重要な課題であると論者は考える...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Marina Shchepetunina, author
現代ロシア語の言語文化的な世界観に含まれるロシア文化の特徴には、異なる時代に生成された概念があると考える。本稿は言語において神話的思想に由来する表現や話法を研究対象とし、その形態の考察を行い、文化的なコンテクストに対照する。慣用句や言い回しには、伝統文化、儀式や信仰に根付いた祭りに由来するものもある。また、自然の現象に神霊が宿ると考えたり、太陽・月・風など自然現象を生き物に見立てたりするのはアニミズムの特徴であったが、こういった発想は現代のロシア語にも残っている。例えば、「楽しいことがあれば、つらいこともある」と意味するne vsyo kotu Maslenitsa, biwaet i Velikii post「猫はいつまでも謝肉祭を楽しむわけにはいかない、大斉期もあるから」という慣用句には、スラブ民族の多神教に由来する美味おいしいものを食べて楽しむ祭りであるマスレニツァ(謝肉祭) が、キリスト教の大斉期に対照されている。さらに、ロシアのおとぎ話をはじめ、ロシア古代文学、古典文学および現代の詩や歌には、人間は太陽や月などの自然現象と会話し、それらの現象は人間とまったく同じような行為をする話しもある。これらの話しには、太陽や月が人間の主人公に直接に会話をする例もある。さらに、風は「神様以外に恐れるものがない」(ne boishsya nikogo, krome boga samogo)、「花はお情けで気落ちした」(tveti unili ot zhalosti) のような文学からの用例のように自然に「恐れる」(boyatsya)、「情ける」(zhalet)、「気落ちする」(univat) のような人間の感情を表す言葉が自然の現象に使用されて、自然は人間と同じように行動して気持ちを表し意志を持つものとして理解されている場合が珍しくない。こういった古代思想・神話思想にさかのぼる言語文化的世界観は、キリスト教による多信仰に対する圧迫、それに続いてソ連時代の反宗教の政策にもかかわらずフォークロアおよび言語に存残する。本稿ではその経緯をダイクロイック的に考察し、ロシア語における自然の擬人化を歴史文化的なコンテクストに乗せてロシア語文化学的な世界観の一部として取り扱う。言語文化学的なアプローチによって、学習者はロシア語における自然の擬人化を文化世界観の一部として理解し、自然現象に使用される語彙・話法は学習しやすくなると考える...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Shigehiro Kokutani, author
ドイツ語の未来時制は、初級水準において導入する際には、注意の必要な文法アイテムである。初学者に若干の混乱を引き起こすおそれがあるからである。本論文では、未来時制の基本特性を概観した後、その4 つの意味機能、即ち①「推量」、②「確定した未来」、③「意気込み」、④「要求」を、いつ、どのような順番で、どのようなやり方で導入してゆくのが適切であるか、その学習プランを紹介する。「未来形は推量形」、「未来のことは現在形で」、というドイツ語の基本姿勢を徹底しながら①「推量」を導入し、日常会話で重要な③「意気込み」へと向かう。この③「意気込み」は、教師や研究者の間でも誤解の多い用法であり、教える側にも注意が必要である。この辺りまでが初級で行いたいプロセスである。書き言葉、特に報道媒体での散発的な使用が認められる②「確定した未来」は、中級以降の実用的なドイツ語使用において、次第に存在感を増してゆく。実例に触れながら、①「推量」優勢の図式を壊さないように留意しつつ、「未来形は推量形」という基本姿勢を「未来形は基本的には推量形」へとアップデートしてゆく。④「要求」は小説や映画の台詞を理解するために知っておいた方がよい用法であるが、日常生活の中で外国語学習者が対応したり、また自ら話したりする機会は稀である。...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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