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Renáta Kovács, author
ABSTRACT
Literary texts were no longer used in foreign-language classroom settings, once the grammar-translation method was excluded through other foreign-language teaching methods. These texts recovered significance several decades later in more advanced forms through communicative-language teaching methods. There are positive and negative aspects to using authentic literary text in the second...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Mari Okamoto, author
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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I Wayan Pastika, author
マスメディアは、インドネシア語の発展において大きな役割を果たしており、良くも悪くも影響力が大きい。本論文では、標準インドネシア語の規則から外れているとみなされる使用例の分析を行う。インドネシアの二言語話者の一部には、テレビでのコミュニケーションにおいてコード切り替えとコード混在を行う傾向が見られる。言語要素の切り替えや混在は、和やかさ、親密さ、威信、話者のネガティブな態度といった要素によって多く起きうる。出版メディアでは、特に4つの点、すなわち、外来語、文法、省略、表記において誤用・逸脱が起きる ;1) 外来語については、その意味の単語がすでにインドネシア語にあるにもかかわらず、さらに原語のまま取り入れられてしまう ;2) 文法については、しばしば書き手に主語、述語、目的語、補語についての知識がないために、能動文と受動文を正しく表すことができない ;3) 省略に関しては、書き手が不要な節を繰り返してしまい、該当する段落の情報が効果的に伝わらない ;4) 表記の誤りもまた、情報の正確さを減じる。例えば形態素diは、受動を表す接頭辞でもあり、前置詞でもあるという同音異義の理解が必要である。動詞であれば、di rumahsakitkan ではなく、dirumahsakitkan(病院に入れられる)と表記し、一方前置詞であれば、前置詞句di rumah sakit(病院で)のように、切り離して表記する...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Hiroyuki Nakagawa, author
外国語教育には二つの目的がある。第一に、平和で円滑なコミュニケーションの実現、第二に、悪意のあるコミュニケーションへの対処である。前者は多言語・多文化主義に基づく多様な世界の尊重に通じ、後者は権威主義的パーソナリティによる他者や弱者―たとえばユダヤ人―の排除といった単一化に通じる。従来の外国語教育では前者を重視して語学能力の向上に努めてきた。だがそれだけでは後者のような陰湿なコミュニケーションには対応できない。そこでハーバーマスが重視したのが言語学の語用論的能力である。つまり、文字上の表面的な内容伝達が当該コミュニケーションの主眼ではなく、後者のようなコミュニケーション―むしろ聞き手を窮地に追い込もうとする話し手の邪悪な思惑や嫌がらせを目的とした―を看破しなければならない。さらに、寛容で強靭な人文知を身につけるためにはたとえばドイッチュラントフンクのような機会を活用し、グローバル化に翻弄される世界の動向を把握しなければならないことを、具体例を用いながら実証する...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Marghoob Hussain Tahir, author
筆者は1988年以降、パキスタンのパンジャーブ大学において外国人に対するウルドゥー語教育を約25年間担当してきたが、その中には日本人学生も含まれていた。様々な国からの留学生のなかで、日本人学生は特徴的であった。その経験から、日本人学生にウルドゥー語を教育する場合、日本人の性格を理解することが肝要であると考える。例えば、ウルドゥー語会話を教育する場合、日本人は返答に時間を要し、どうしても答えねばならないときは、可能な限り簡潔な会話をしようとする。また、教員が何か質問をした場合、たとえその答えが理解できていても、挙手して回答する日本人は少ない。これは、日本人が他人の中で目立つことを好まないという性格に起因しているものと思われる。そこで、日本人には別の手法で会話を教育することが必要となる。まず日本人は、日本語にないウルドゥー語固有の音声の発音について繰り返し練習させることで、まず教室内で、教員を前にして話す自信をつけさせる。次に、会話の実践においては、教科書的な会話の質疑よりも、実践的な会話の練習を導入することが良いと思われる。すなわち、教員が、同僚の日本人教員に尋ねるような質問を、学生に投げかけるのである。可能な限り他人を手伝い、協力するのは日本人の性格の一部であり、日本社会においてこれは義務のように感じられる。そこで、教員が「休日に日本の歴史的な場所を訪ねたいが、どこに行けばいいか教えてほしい」と尋ねれば、学生は話し合った後で「京都」だと答える。そこで「京都で何を見ればいいか」と尋ねると、さらに話し合い場所を答える。その後、その場所に行く方法を訪ねると、学生は辞書を開き、説明しようとする。この段階に入ると、学生は授業として会話をしている気持ちを忘れ、他人を助けるために自然に会話しようとするのである。パキスタンにおける婚礼などの儀礼、歴史や文化について説明した後で、日本の文化について尋ねると、その答えを懸命に探そうとする。この時、学生は文法的な過ちを犯してしまうが、まずは話そうとする意欲を大切することが重要である。また、クラスにウルドゥー語会話のできる学生が現れると、他の学生はその学生を通して教員の話していることを理解しようとする傾向がある。学生全員に話す機会を与えることは当然だが、留意すべき点である。日本人学生は会話よりも読み書きを得意とする傾向があることから、SNSなどを通して、作文による会話を進めることも今後は必要となろう。日本人は会話の際に用いた語彙を、その場ではうまく運用するものの、その語彙を覚える、ということが少ない印象を受ける。会話の実践では、同じ語彙を何度も用いることで、その語彙を覚えさせることも重要である。 筆者は1988年以降、パキスタンのパンジャーブ大学において外国人に対するウルドゥー語教育を約25年間担当してきたが、その中には日本人学生も含まれていた。様々な国からの留学生のなかで、日本人学生は特徴的であった。その経験から、日本人学生にウルドゥー語を教育する場合、日本人の性格を理解することが肝要であると考える。例えば、ウルドゥー語会話を教育する場合、日本人は返答に時間を要し、どうしても答えねばならないときは、可能な限り簡潔な会話をしようとする。また、教員が何か質問をした場合、たとえその答えが理解できていても、挙手して回答する日本人は少ない。これは、日本人が他人の中で目立つことを好まないという性格に起因しているものと思われる。そこで、日本人には別の手法で会話を教育することが必要となる。まず日本人は、日本語にないウルドゥー語固有の音声の発音について繰り返し練習させることで、まず教室内で、教員を前にして話す自信をつけさせる。次に、会話の実践においては、教科書的な会話の質疑よりも、実践的な会話の練習を導入することが良いと思われる。すなわち、教員が、同僚の日本人教員に尋ねるような質問を、学生に投げかけるのである。可能な限り他人を手伝い、協力するのは日本人の性格の一部であり、日本社会においてこれは義務のように感じられる。そこで、教員が「休日に日本の歴史的な場所を訪ねたいが、どこに行けばいいか教えてほしい」と尋ねれば、学生は話し合った後で「京都」だと答える。そこで「京都で何を見ればいいか」と尋ねると、さらに話し合い場所を答える。その後、その場所に行く方法を訪ねると、学生は辞書を開き、説明しようとする。この段階に入ると、学生は授業として会話をしている気持ちを忘れ、他人を助けるために自然に会話しようとするのである。パキスタンにおける婚礼などの儀礼、歴史や文化について説明した後で、日本の文化について尋ねると、その答えを懸命に探そうとする。この時、学生は文法的な過ちを犯してしまうが、まずは話そうとする意欲を大切することが重要である。また、クラスにウルドゥー語会話のできる学生が現れると、他の学生はその学生を通して教員の話していることを理解しようとする傾向がある。学生全員に話す機会を与えることは当然だが、留意すべき点である。日本人学生は会話よりも読み書きを得意とする傾向があることから、SNSなどを通して、作文による会話を進めることも今後は必要となろう。日本人は会話の際に用いた語彙を、その場ではうまく運用するものの、その語彙を覚える、ということが少ない印象を受ける。会話の実践では、同じ語彙を何度も用いることで、その語彙を覚えさせることも重要である...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Marghoob Hussain Tahir, author
世界のいずれの言語においても、文学は特に重要である。会話として発生した言語が文学として開花するには長い歳月を要する。文学には比喩、隠喩、慣用句、俚諺などによって一つの世界が出来上がっている。この世界が築かれ、続くには多くの世代の努力が費やされてきた。文学の主題や思想は、その言語を話す集団の政治的、社会的、経済的、宗教的、慣習的な要因によって形成されている。したがって文学はある集団の文化を明らかに、完璧に映し出す鏡のような存在である。また文学の文体は通常の会話とは異なるものであり、文学の理解は困難を伴うものである。文学の教育自体が難解なものである上に、外国人を対象とした文学の教育はさらに難しいものとなる。特に、その文化や慣習が全く異なる人々にとっては、異なる言語の文学は理解する上で困難なものとなりうる。日本人学生を対象としてウルドゥー文学の歴史や詩、小説などを教育する上で筆者が感じたことは、文学史を教えつつ、ウルドゥー語の話されている社会の政治的、社会的な変容についても解説する必要があるということである。ウルドゥー短編小説を教育する場合、日本人学生は難解な語彙を調べ、その意味を理解しようとはするが、小説全体が描こうとする主題を理解することが困難となっている。また多くの語彙や慣用表現が社会的、文化的背景のもとに用いられているため、これを理解しないことには小説の世界に入れないのである。さらに小説の文体や主題は、作家によって異なるものであり、インドとパキスタンの作家の違いのみならず、パキスタンであっても様々な地域の生活文化が異なるため、ウルドゥー語が描き出す様々な社会を理解するのは困難となる。ウルドゥー文学を教育するに当たっては、その主題等が社会や文化を反映しているものでありつつも、学生が容易に理解できるような作品を選ぶことが求められる。そして教員は難解な語彙を分かりやすく説明することが求められる。難解な表現等をまず説明してうえで、主題に関する議論を行うことによって、作品への理解が深まるのである。また、文学の主題の変化によって、社会の変化について考察させることができるように、異なる時代の文学作品を選ぶことも必要であろう。日本人学生にとってはウルドゥー詩の理解が最も難しい。韻律、押韻、詩形などをまず理解させ、韻文を散文に戻すことで理解が深まるのである。そのうえでウルドゥー詩固有の主題を解説し、ウルドゥー詩に慣れさせる必要がある。特に恋愛抒情詩ガザルの解説は困難で、ウルドゥー詩における恋愛観、スーフィズム、宗教的倫理観などを理解した場合は、新しい世界が開けたような段階に入ることができる。当初は理解に時間を要するが、理解が深まり、関心を持つようになると、その内容を深く理解するようになる。語彙については、語義を教えるだけでなく、その語彙で描かれる感情などを教える必要がある。さもなくば、語義を調べるだけに労力が費やされ、文学を鑑賞できなくなるのである。日本人には音楽を好む人が少なくなく、韻律や押韻などとともに教えると、学生の関心も高まる。詩は有名で重要なものを選び、詩を解説したのちに、その内容について文章で書かせると、学生の理解度が把握できる...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Luciana Cardi, author
本論文ではイタリア人作家ジャンニ・ロダーリの『ファンタジーの文法』(1973 年)に基づいた日本人学習者向けの創作伊作文の教授法について考察する。筆者は2013 年度から大阪大学で中級(CEFR でA2 レベル)と上級(CEFR でB1 - B2 レベル)のイタリア語作文の授業を担当し、外国語学部イタリア語専攻の2、3、4 年次の学部生を対象に、日常的な通信からビジネスレターにいたるまで様々な手紙、物語、日記、漫画、学術論文など異なるジャンルの文体的特徴と作法について指導をしてきた。授業で扱ったジャンルの中で、筆者は創作的作文に焦点を当て、ロダーリが提案した「ファンタジーの二項式」、「創作的誤謬」、「ひっくり返しのおとぎ話」、「ファンタスティックな仮定」、「お話をまちがえること」などの物語創作法を適用した伊作文の教授法について紹介する。また、第二言語(L2)学習者向けの学術的な伊作文マニュアルのメリットと課題を検討し、第二言語教育に適用されたロダーリのアプローチの特徴と意義について考察する。授業で利用した資料、学生によって実行された課題、ロダーリの『ファンタジーの文法』に込められている現代の若者たちへの伝言を分析しつつ、伊作文の授業の教授法について論じる...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Kawakita, Kyoko, author
外国語学部フランス語専攻での2 年間の実習授業では、詳細な文法学習は行っているが体系的な語彙学習は行っておらず、専攻語到達度目標達成には語彙不足が懸念される。専攻語の授業であることに鑑みて、文法学習レベルを維持しつつ効果的な語彙習得方法を考えなければならない。他方、フランスの国語教育では、「聞く・話す・読む・書く」といった総合的な理解力や表現力は、文法規則や正書法の習得及び豊かな語彙にかかっているという判断の下に、体系化された語彙教育が行われている。国語教育で習得される語彙は、外国語教育で習得すべき語彙よりも高度で広範囲でありながら、外国語教育で習得すべき基本語彙もおろそかにせず学習させている。そこで、フランスにおける語彙教育がどのように行われているかを知ることは、外国語としてのフランス語教育における語彙を豊富にする学習方法に資すると考える。フランス小学校国語科の語彙習得方法を「語形成、多義性、類義語と反意語」の3 項目を中心に国語教科書から紹介し、我々のフランス語教育への応用可能性を検討する...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Nakao, Shuichiro, author
アラビア語には、音節構造に関する音韻制約によって引き起こされる、種々の語彙的・後語彙的音韻規則が存在する。つまり、アラビア語学習者は、ある程度こうした「音韻規則」を理解しなければ、アラビア語を正確に発話・作文することはおろか、辞書を引くことも、書かれた文章を流暢に発音することも不可能である。このため、伝統的なアラビア語教育においてはある種の「(形態)音韻規則」の説明が教育現場で用いられてきたが、それはごく限定的に(パラダイム・レベルで)一般しつつ、そこから演繹的な説明を行うという形での(例えば「CCwという型の語根をもつ動詞に関しては、その三人称単数男性形においてはawa → āのような変化が生じるため、CaCawaではなくCaCā という形式となる」のような記述形式をもつ)。こうした形式での説明は、矛盾を生じにくく網羅的とはなるが、有用な新情報を提供せず、記述が余剰的であるという否定的側面を強くもつ。一方で、近年のコミュニカティブ・アプローチに基づくアラビア語教育では、こうした「音韻規則」を一切廃し、反復練習による「慣れ」で解決される、という方針が採られる傾向が見られる。しかし、こうした方針は非効率であるというだけでなく、学習者が抽象的思考に基づき言語現象を理解する、という(大学等の高等教育機関における)語学学習の一つの学術的意義を損ねてしまう。本稿は、効果的かつ語学学習に「主体的学習」という意義をもたらす新たなアラビア語教育法を開拓することを目的とし、これまで十分検討されてこなかった、言語学的(現代音韻論的)枠組みを応用した「音韻規則」について検討することを目的とする。本稿では試験的に、単母音化・短母音化・母音挿入という三つの(パラダイム・レベルを越えて一般化された)音韻規則と、これらについての単母音化→短母音化→母音挿入という規則適用順、および以上の一般化に対する例外現象、という形で一部のアラビア語音韻現象を整理する。この上で、まず学習の初期段階ではごく少数の音韻規則とそれらの適用される順序を(ごく限られた例とともに)導入し、そして学習が進むにつれて以上の規則に関するより詳細な条件や例外現象を導入する(あるいは学習者が主体的に気づくよう促す)という方法を提案する...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2019
400 FRO 2 (2019)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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Bayarsaikhan Magsarjav, author
モンゴルには、古来短型詩の伝統があり、例えば、口承文芸に二ないしは三、四行詩から成るなぞなぞやことわざ、さら に世界の三つ、四つなどの伝統的ジャンルがある。さらに書写文学にも四行詩から成る教訓詩が少なからずある他、二行詩 から成る祝詞や讃歌も一種の短型詩と見なすことができる。本稿では、モンゴルに日本の俳句が伝わった歴史とその現状、さらには日本の俳句の影響を受けて独自に発展した"モンゴル版俳句"、すなわちхайц(ハイツ)の概要を紹介するとともに、モンゴル人の様式・思考特徴が色濃く反映されたхайц を、今後日本のモンゴル語教育に導入することにより、それがモンゴル文化紹介の有効な手段となりうることを説いたものである...
Osaka: Graduate School of Language and Culture, Osaka University, 2018
400 FRO 1 (2018)
Artikel Jurnal  Universitas Indonesia Library
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